名古屋の質屋がお伝えする「名古屋」の由来
質トダ屋は創業以来名古屋市中村区で地域密着型のお店として質屋をさせていただいています。
以前ご来店いただいたお客様とのお話として質トダ屋の由来を書かせていただいたことがありますが、今回はお店がある名古屋市の「名古屋」の由来をご紹介します。
とは言っても、私も歴史の専門家ではありませんので、自分なりに調べた結果を引用させていただきます。 レファレンス協同データベースの『名古屋の地名「那古野」の由来について知りたい。』という中に紹介されているのですが、
『日本歴史地名体系 23 愛知県の地名』79頁「名古屋市」の項
「古くは那古野と書き、また名護屋・浪越などとも記し、蓬左の別名もある。旧広橋家本「江家次第」裏書(東洋文庫蔵)にある建春門院法花堂領尾張国那古野庄領家職相伝系図に平安時代末期の荘園名として現れるのが初見で、南北朝時代の写本「弘法大使御入定勘決記」(真福寺蔵)の奥書にも「尾張国那古野荘安養寺」とみえる。近世の初め、徳川家康によって名古屋城下が開かれた頃から名古屋と名護屋が併用されたが、しだいに前者に定まり、明治22年(1889)現市名となった。
とあり、名古屋の古い表記である「那古野」は平安時代末から南北朝期に荘園名として現れるのが史料上で確認できる最初になるそうです。
当店は名古屋駅から徒歩圏内にあり、電話で場所をお伝えする時に名古屋駅からのルートをご説明することが多いのですが、その名古屋の由来が平安時代末まで遡るとは思いませんでした。お店のある中村区は太閤秀吉の出身地で歴史スポットが点在するエリアなので、普段から歴史は身近に感じてはいるんですけどね。お店も太閤通りという秀吉に因んで付けられた大通りに面していますし。
ちなみに「なごや」の語源は
- 気候・風土がなごやかな地
- ナゴ(霧)の多い原野
- 根古屋(山城の麓にあった将兵たちの居住区域)
- 浪が高くしばしば海岸を越えるから(浪越)
- 魚子屋(なごや)(魚子は漁夫の意味で漁村のこと)
など諸説あるそうです。調べてみると結構面白いものですね。
名古屋駅から随分話がそれてしまいました(苦笑)
名古屋駅近くまで来たら、ぜひ質トダ屋にもお立ち寄り下さい。できる限り高額査定させていただきます。