渋沢栄一は質屋生まれって本当?その意外な関わりとは
渋沢栄一は日本の歴史に大きな影響を与え、日本資本主義の父と呼ばれている人物です。 新10,000円札にも描かれ、2021年に始まる大河ドラマの主役にもなっており、注目が集まっています。
その渋沢栄一と質屋は実は深い関係にあることをご存知でしょうか。今回は渋沢栄一が注目されている理由や質屋との関係についてご紹介します。
渋沢栄一が注目される理由
渋沢栄一は新10,000円札に採用された理由は、資本主義の父と呼ばれ、日本初の銀行を作るなど近代経済黎明(れいめい)期に多大なる影響を与えたからとされています。
470社以上の企業設立に関わっている
渋沢栄一は日本資本主義の父と呼ばれ、500社に及ぶ企業の育成に係わりました。また、養老院や孤児院など600社ほどの社会公共事業にも携わり、救護法の制定にも尽力しています。
その中には現在でも影響力があるような企業も多く、代表的な企業の例を挙げると
- 第一国立銀行(現在のみずほ銀行)
- JR東日本
- 王子製紙
- 東京海上保険(現在の東京海上日動火災保険)
- 東京証券取引所
- 帝国ホテル
などなど現在でも、日本に大きな影響を与えている企業の設立・育成に渋沢栄一は関わっています。民間外交にも関わっており、ノーベル平和賞の候補にも2回上がっていました。
2021年放送予定の大河ドラマ『青天を衝け』の主人公に
渋沢栄一は2021年1月から放送開始予定の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公にもなっており、注目が高まっています。
大森美香が執筆を行い、渋沢栄一役は吉沢亮が演じます。 渋沢栄一は日本資本主義の父と呼ばれ、どこかとっつきにくいイメージがある人も多いでしょう。
しかし、渋沢栄一の生涯を見ると、波乱万丈、様々な苦難を乗り越えてきています。「青春」をキーワードに濃厚な人間ドラマが繰り広げられるそうです。2021年の放送が楽しみですね。
渋沢栄一と質屋の関わり
そんな渋沢栄一ですが、以前紹介した坂本龍馬と同じく、質屋と係わりのある実家で生まれ育っています。
渋沢栄一の実家は「中の家」と呼ばれ、養蚕や藍玉の製造販売や雑貨屋などさまざまな事業を営む豪農でした。その事業の1つに質屋も兼ねていたそうです。渋沢栄一は家業である家業である藍玉の製造・販売、養蚕を手伝っていたそうですが、一般的な農家とは異なり、原料の仕入れと販売の計算が必要だったそうです。
14歳の頃には一人で藍葉の仕入れに出かけるようになり、この時の経験が商業的なセンスを磨くことになったと言われています。もちろん、実家の質屋で見聞きしたことも多いにその商業的なセンスを磨く役に立ったことは想像に難くありません。
また、渋沢栄一は幼少期から学問の手ほどきを受け、論語や儒教などを学んでいます。そこで学んだ学問は、後世で渋沢栄一の代名詞的な「道徳経済合一」という理念に大きく影響を与え、その偉業を成し遂げていく原動力となっていきます。
そうした渋沢栄一を形作る幼少期を過ごした「中の家」は現在でも残っており、その当時の様子を垣間見れるそうです。大河ドラマ『青天を衝け』が始まったら、人気スポットになるかもしれません。
渋沢栄一の活躍のルーツ
渋沢栄一の育った時代は幕末の動乱期。若き渋沢栄一も尊攘派志士として、密議を重ねていました。
その内容はかなり過激で、高崎城を乗っ取り武器を奪い兵備を整えた後、鎌倉街道を通って横浜に行き、横浜を焼き討ちして外国人を殺害しようというもの。同士も70人近く集まったものの、結局、仲間の弟に説得されて中止となりましたが、若い頃の渋沢栄一を代表するエピソードとして現在も伝わっています。
その後は、計画は中止になったものの、幕府の取り締まりがあるため、故郷に残るのは危険と判断し、京都へ。
運命のいたずらというべきか、その地で後に将軍となる徳川慶喜に出会い、幕臣になります。その後、渋沢栄一は慶喜の弟を連れて遣欧使節団に随行し、2年近くをヨーロッパで過ごすことになるのですが、このヨーロッパの時に体験したことが後の日本の近代化に非常に大きく貢献することになっていきます。
帰国して以降の活躍が日本の資本主義の父としての名前を不動のものとしていくのですが、それも幼少期から家業の仕事を手伝い商業センスを磨いたこと、海外で知見を広げてきたことがあってこそ。
もちろん、幼い頃から身につけてきた論語を始めとする教養も役に立ったことでしょう。そのどれが欠けていても渋沢栄一の偉業はなかったのでないかと思えるのです。
大河ドラマが始まったら、そういう観点で見てみるのも面白いではないでしょうか。